薄い睡眠と見えない敵について
長々と書いたものが、ほんの少しのミスでポンと消えた。
そんなわけで、昨日はブログを書いたけれど、この世には存在しないまま終わりとなった。
今日は何を書こう。
洗濯機の音が穏やか。
お布団の中が暖かい。
朝食のパンがおいしかった。
今日はまだはじまりだから、あまり感想がない。
三時くらいに寝て、5時過ぎにふと目が覚め自分が連ドラを動画配信サイトで観ながら寝落ちしてしまっていたことに気づいて、スマホを消し、二度寝。
そのあと物音で目を覚ましたものの三度寝。
その果てに8時ちょっと前に起きて今に至る。
と言っても、体調の悪さは健在だから、多分もう少ししたらまた睡眠をとると思う。
私の睡眠は薄い。
睡眠の質が悪いというと、私の脳が責められているみたいでかわいそうだから、私は
『野生の動物のように薄い睡眠』
なのだと思っている。
生きる強さ、本能の強さの表れ。
逆に言えば、生命の危機を感じているのかもしれない。
ストレスって人を殺す脅威だから。
薄い睡眠をとっている人は、みんな見えない敵と戦っている。
私は、コアラみたいにたくさん寝て、見えない敵をやっつける。
だから、今日は一日中
今日はまだはじまりだから、感想が少ない
と言っているまま終わると思う。
眠れたら、の話だけど。について
正義の味方論
論、というほどでもない私見なんだけど。
正義の味方ってなにですか?
っていうと、私は
弱いものを守る人
が、正義の味方だと思う。
悪を成敗するのは正義の味方じゃないと思う。
裁判での話じゃない。日常の話。
例えばいじめられている子供を見かけたら、いじめをしちゃダメだろうと頭をポカリとやるのは正義の味方じゃなくて私刑。
いじめられている子供のことを盾になって守り、心のケアもしてあげるのが正義の味方。
でもこの認識って、世間では普通じゃないみたい。
悪を成敗しようと躍起になっている人がたくさんいる。
でも、悪ってなんですか?
わかんないよね。
正義ってなんですか?
私にはわからない。
だけど、誰か困っている人がいたら助けてあげる。
それは、そんなに悪影響じゃないと思うからしてあげてもいいと思う。
だめかな。
RIP
私が私に騙された今日
今日は、朝からいろんなことが起きた日だった。
なんだか、今日1日だけで一生分を生きた気がする。
そんなに大したことはしていない。でも朝から動いたというのが、私のことを満たしているのかも。
多分仕事量としては同じ。ほんの少し順番を変えただけ。
なのに、私は頑張ったという気分になれる。
人間て単純ね。
夜更かしする自分を受け入れるか、朝から動くか、どっちでもいいけれど、仕事量が変わらないのはよくわかった。
バッタバタと予定を詰め込んで。
7時くらいに起床して、ちょっとグダリつつも、しようと思っていたことをサクサクとこなした。
例えばそれは、確認の電話をかけるとか、再配達の依頼とか、そういう簡単なことの山なんだけれど、その山を切り崩す作業はそこそこ面倒。
でも、それを終えるとすっきり。
今日の予定はあといくつかで終わるから、そうしたら買ってからずっと袋からすら出していなかった本を読もう。
でも眠いからお昼寝もしたいけれど。
言葉、哲学、一人ぼっちの物語
ある時、突然先輩たちが、ES.ESとこぞってsnsに書き始めた。
私は、みんなついに幹細胞に興味を持ち始めたのかと感動したのだけれど、蓋を開けてみたらなんのことはない、
《就職活動におけるエントリーシート》
の話だった。
同じ言葉でも、想像するものが全然違うことに、言葉というツールの不完全性というか、なにか大きく隔絶された文化の差というか、結局言葉を使っているように見えて使っていないのかもしれないというような、そんな感覚を覚えた。
今でも私は言葉というものが為すことについて懐疑的。
でも、その私が愛するのは読書とか、こうやって駄文を連ねることだということは変わらない。
言葉は、私の中では、言葉だから。
この辺りって現象学とかを学んでいると、更に孤独を感じる。
結局、一人の世界から抜け出せないような感覚。
植物みたいにはじめから光合成だけしているのなら(実際のところはよく知らないけれど。食虫植物とかは、なにかこちら側の生き物に見えちゃう)話はもっと単純なのだろうけれど。
このブログも私の独り言。
読んで共感をしてくれる人がいるのならそれは嬉しいことだけれど、それは本当の共感かしら?
体調絶不調って、五言律詩とかの類みたい
遠い昔、現代用語の基礎知識というタウンページみたいな
(電話番号の載っている本ってなんて言うんだろう。最近見た海外のドラマではタウンページよりもっとましな訳され方がしていた)
本が家に転がっていて、私はその中の若者言葉の欄を全部読んでしまったのだけれど、時として文字は、漫画やゲームやアニメなんかよりずっと害になる典型例の一つかもしれない。
なんでそんなことを思い出したのかはわからないけれど、今とても体調が悪い。体調が悪いのに、私は今全部で3時間の長旅の途中だ。
好きでこれを選んだのではなくて、気づいたらこうなっていた。
長旅とか、小旅行とか、人間は自分の寿命の中では好きに(今回の長旅は心理的長旅だから、例外)選べるけれど、人生という旅の長さは大概選べない。
私も今はあまり実感がないけれど、長生きできないことを知っている。
だから、ハネムーンみたいな旅にしたい。
なのに、体調絶不調。
まぁそこも含めて人生の長さなのかもねと思っているうちに、気付いたら私の思考は、
体調絶不調
って5文字で構成されているし、なんか漢詩にありそうだなぁとなり、
国破れて山河あり
ってあったなぁ
と、脳の中で唱えているうちに、
さんがあり
さんが、あり
酸が、蟻
つまり、蟻酸?
となったので、今日も平和。
国破れてのほうもなにかうまいジョークにして、酸が蟻に繋げて、=蟻酸
ってなるようにしたかったけれど、親父ギャグも意外と難しくて、私の能力では無理みたい。
もし誰かうまいこと言えるなら教えて欲しい。
初めまして
なんて事のない日々を徒然と綴ろうと思いブログを開設しました💓
読み手のことを意識せずに自分の書きたいことをそのまま書くから読みにくいかも。
好きなことや趣味は、前はたくさんあったのだけれど、最近はどれもご無沙汰だから、紹介できるようなものはなし。
得意なものなども、特にはないけれど、別に不得手だと感じるものもそこまではない。
不得手だと感じるほどたくさんやっていることがないから。
でも強いて言うのなら、暗記力みたいなものは昔よりない気がする。
一回読んだら全部覚えられます!みたいな時代は過ぎ去って、今の私は何度読んでも覚えられない。
だから、暗記は不得手って言うべきなのかも知れないけれど、言ってしまったら、もっともっと苦手になりそうだから言わない。
性別
生物学的にも性自認的にも女性なんだけれど、時として男性としての私を求められる場面が多かったので(多分周りはそんなことを意識していないのだけれど)(つまり、社会的役割で男性のほうに分類されていることを求められがち?ってこと?)、自分でもよくわからない。
エスコートされるのは好きだけれど、女性を見る目で見られるのは嫌い。
全ての女性にするように、私にもエスコートをする男性は好きだけれど、恋愛感情を伴う目で見られるのは苦手ということかな。
じゃあ、今までどう恋愛してきたの?って思うかも知れないけれど、それもわからない。
恋愛感情を持たれても平気な相手もいたということだと思う。多分。
もう、全員忘却の彼方だけれど。
今まで書いたものを軽く見返して、自分でも嫌になった。
何も紹介できていない。私がすごくおバカな子に見える。
だから自己紹介文を書きなおすべきか悩むけれど、今日はこれ以上ましなものを書ける気がしないから当面はこのままで。