言葉、哲学、一人ぼっちの物語
ある時、突然先輩たちが、ES.ESとこぞってsnsに書き始めた。
私は、みんなついに幹細胞に興味を持ち始めたのかと感動したのだけれど、蓋を開けてみたらなんのことはない、
《就職活動におけるエントリーシート》
の話だった。
同じ言葉でも、想像するものが全然違うことに、言葉というツールの不完全性というか、なにか大きく隔絶された文化の差というか、結局言葉を使っているように見えて使っていないのかもしれないというような、そんな感覚を覚えた。
今でも私は言葉というものが為すことについて懐疑的。
でも、その私が愛するのは読書とか、こうやって駄文を連ねることだということは変わらない。
言葉は、私の中では、言葉だから。
この辺りって現象学とかを学んでいると、更に孤独を感じる。
結局、一人の世界から抜け出せないような感覚。
植物みたいにはじめから光合成だけしているのなら(実際のところはよく知らないけれど。食虫植物とかは、なにかこちら側の生き物に見えちゃう)話はもっと単純なのだろうけれど。
このブログも私の独り言。
読んで共感をしてくれる人がいるのならそれは嬉しいことだけれど、それは本当の共感かしら?